ゲームストーリー研究所

失敗と反復による物語形成:ゲームメカニクスが拓く新たなストーリーテリング手法

Tags: ストーリーテリング, ゲームメカニクス, インタラクティブ物語, ナラティブデザイン, 繰り返しと物語

はじめに:ゲームにおける「失敗」の物語的意義

従来の文学や映像作品における物語では、主人公の失敗はしばしば物語の終焉、あるいは克服すべき一時的な挫折として描かれてきました。しかし、ゲームというメディアにおいては、「失敗」、特に「ゲームオーバー」は物語の進行において不可避な要素であり、時にその経験自体が物語を深く理解し、内面化するための重要なメカニズムとして機能します。

本稿では、ゲームが持つ独自のストーリーテリング手法、すなわち「失敗と反復」がどのように物語を形成し、プレイヤーに深い体験をもたらすのかを分析します。そして、このゲーム独自の物語構造が、線形的な表現を主とする文学や映像作品のクリエイターに対し、どのような新たなインスピレーションや示唆を与えうるのかを考察します。ゲームにおける失敗の概念を単なる中断ではなく、物語的深みを増すための能動的な要素として捉え直すことで、クリエイターが自身の作品に新たな次元の表現を取り入れるための視点を提供します。

失敗と反復が織りなすゲームの物語構造

ゲームにおける失敗や反復は、単なる再挑戦の機会に留まらず、物語の理解を深めたり、プレイヤー自身の成長を物語に重ね合わせたりする独自の機能を持っています。

1. 失敗を通じたプレイヤーの学習と物語的成長

多くのゲームにおいて、プレイヤーは失敗を経験することでゲームのメカニクス(仕組み)や敵のパターンを学習し、徐々に上達していきます。この過程は、物語の主人公が困難に直面し、それを乗り越えるために努力し成長する姿と、プレイヤー自身の体験が深く同期する点でユニークです。

例えば、フロム・ソフトウェアの『Dark Souls』シリーズでは、プレイヤーはしばしば強大な敵に敗北し、その度に「死亡」します。しかし、この失敗はゲームオーバーとして物語を終わらせるのではなく、プレイヤーに敵の動きを観察し、戦略を練り直す機会を与えます。繰り返される挑戦と失敗、そして最終的な成功は、単なるゲームプレイの達成感に留まらず、プレイヤー自身がキャラクターの「成長」を実体験する物語的な深みを生み出します。この「死んで覚える」というメカニクスは、物語内での主人公の苦難や試練をプレイヤーが身体的に追体験する強力な手法となっています。

2. 時間のループと物語の深化

特定のゲームでは、物語の構造自体が「反復」を前提として設計されており、失敗や時間切れが新たなループの開始点となります。このタイムループのメカニクスは、物語の謎を解き明かし、世界を深く理解するための重要な鍵となります。

『Outer Wilds』は、22分間のタイムループを繰り返し、宇宙の謎を解き明かすアドベンチャーゲームです。プレイヤーは時間切れや死亡によってループの開始点に戻されますが、これまでの知識や発見は失われません。このゲームにおける「失敗」は、新たな情報収集や異なるアプローチを試すための動機付けとなり、直線的な物語進行では得られない、プレイヤーの能動的な「探求」によって物語が編み上げられていく感覚を提供します。それぞれのループが、物語の断片を繋ぎ合わせ、世界の全貌を明らかにするためのステップとなるのです。同様に『Deathloop』では、一日が繰り返されるループの中で、プレイヤーがターゲットを排除するための最適解を探す過程が物語の核をなします。

3. 失敗そのものが物語の要素となるメタフィクション的アプローチ

一部のゲームでは、プレイヤーの失敗やその背景にあるシステム的な要素自体を物語の一部として組み込み、深いテーマを問いかけます。

『NieR:Automata』では、プレイヤーが特定のエンディングを見た後にセーブデータが消滅するという、一般的なゲームでは「失敗」と見なされる事象が、物語のテーマ(自己犠牲や存在意義)を深く問いかける演出として機能します。これは、プレイヤーがゲームというシステムの中で行った行為(セーブデータの喪失)が、キャラクターの運命と連動することで、極めて強烈な物語体験を生み出します。

また、『Undertale』は、プレイヤーの行動(敵を殺すか、慈悲をかけるか)や、ゲームのリセット(いわゆる「やり直し」)が、物語のキャラクターたちに認識されるという点で画期的な作品です。プレイヤーがゲームオーバーを経験し、リセットして異なる選択を試みる行為そのものが、物語世界における倫理や「責任」というテーマを浮き彫りにします。失敗を通じてプレイヤーに「なぜその行動を選んだのか」を問いかけ、自らの選択と向き合わせるメタフィクション的なアプローチは、ゲームというメディアだからこそ可能な物語体験と言えます。

他メディアへの影響と応用可能性

ゲーム独自の「失敗と反復による物語形成」は、文学や映像作品のクリエイターに対し、以下のような示唆と応用可能性を提供します。

1. 線形物語における「失敗の再解釈」

文学や映像では、物語の進行が基本的に線形であるため、プレイヤーが直接「失敗」を体験することはできません。しかし、ゲームにおける失敗を通じた学習と成長のメカニクスは、線形物語における主人公の挫折や困難を、観客・読者の感情的な学習体験と同期させるヒントを与えます。

例えば、映画『エッジ・オブ・トゥモロー』では、主人公がタイムループの中で何度も死と学習を繰り返し、強くなっていく姿が描かれます。これは、ゲームにおける「死んで覚える」メカニズムを映像作品に昇華した好例と言えます。観客は主人公の失敗を追体験し、その度に彼の成長と物語の進展に没入します。文学においても、主人公の内面的な反復思考や、異なる選択肢を試す「可能性の物語」を挿入することで、読者に能動的な思考を促すことが可能です。

2. 観客の「失敗体験」を促すアプローチ

インタラクティブな映像作品(例: Netflixの『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』)は、視聴者に選択肢を提供することで、ある程度の分岐と「やり直し」を可能にしました。しかし、ゲームのような失敗からの具体的な学習や、選択の重みがゲームシステムと深く結びつくほどの没入感には至っていません。

しかし、ゲームが示す「失敗からの学習」の概念は、観客が「もしあの時、主人公が違う選択をしていたらどうなっただろう?」と深く思考する余地を与えることで、物語への没入感を高める可能性を秘めています。例えば、物語の特定シーンで提示される「選択の瞬間」を強調し、その後の展開と選択の結果を対比させることで、観客に仮想的な「失敗体験」とそれからの学習を促すような演出が考えられます。文学においては、読者の想像力に委ねる形で、あえて複数の結末を示唆したり、異なる解釈を誘発するような記述を盛り込んだりすることで、線形的な読書体験に深みを与えることができるかもしれません。

3. メタフィクション的要素の深化と観客の役割

ゲームにおけるプレイヤーの失敗やリセットが物語世界に影響を与えるメタフィクション的なアプローチは、文学や映像作品においても応用可能です。これは、読者や視聴者が物語に「介入」する、あるいは「影響を与える」存在であることを、作品自体が認識するような表現を意味します。

例えば、作品内のキャラクターが、物語が繰り返されていることや、読者・視聴者の「見方」によって自身の運命が変わりうることを示唆するような描写が考えられます。これは、単に「枠を超えた存在」としてのクリエイターが物語に干渉するのではなく、読者や観客の「行為」(再読、再視聴、解釈、感情移入の度合い)が、物語世界に何らかの意味を持つことを示唆するものです。これにより、作品と受け手の間に、より深く、より倫理的な問いかけを伴う関係性を築くことが可能になります。

結論:物語を再定義する「失敗」の可能性

ゲームにおける「失敗と反復による物語形成」は、プレイヤーに深い学習と能動的な成長の体験を提供し、物語への関与を促す独自のストーリーテリング手法です。従来の線形的な物語では表現しきれなかった、行動と結果、試行錯誤のプロセスそのものを物語の核に据えるこのアプローチは、文学や映像作品のクリエイターにとって、表現の幅を広げる貴重な知見となります。

ゲームが提示する「失敗」は、単なる終点ではなく、新たな始まりであり、物語を再構築し深化させるための強力な触媒となり得ます。観客・読者の体験そのものを物語に織り交ぜる視点や、メタフィクション的な問いかけは、今後の創作において、より多層的でインタラクティブな物語体験を生み出すための重要なヒントとなるでしょう。ゲームが切り開いてきた物語の地平は、今後も他のメディアに影響を与え、新たな物語の創造を促す原動力であり続けるはずです。